豊平神社について

豊平神社

御神木

社殿に向かって右側にある大きなハルニレの木は樹齢約230~250年。 社殿を建立する場所を探していた際、小さい木々の中に1本だけ大きく生き生きとしたハルニレの木がありました。 ここの土地の状態が良いと考え、この場所に豊平神社は建てられました。

今までもこれからも豊平神社を見守ってくれています。

※昭和60年5月24日札幌市保存樹木に指定される

由緒

当神社は上毛野田道命・大山衹命・倉稲魂命の三柱を奉斎する。
主祭神上毛野田道命は、崇神天皇の皇子豊城入彦命より五代目の子孫にして東北地方の守護神として厚く崇敬せられ、特に延歴年間征夷大将軍坂上田村麻呂が奥羽地方平定に向かわれた時、田道命の神霊の御加護によりこれを平定することができ、後に今の青森県南津軽郡猿賀山に神霊を観請して社殿を建立したもので、猿賀神社は当神社の本社に当たる。

古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化 して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の洞穴に祀る」と、云われている。
当地域は東北地方移住者多く、それゆえに故郷の氏神様をお祀りしたものである。
さらに当豊平地区は開墾の途上で森林遠く連なり、これが伐採に大山衹命を祀り、開墾進み沃野美田の広がりに行くにつれて倉稲魂命(稲荷大神)を合祀して豊平地区の氏神様して奉斎され現在に至る。

御祭神

上毛野田道命(かみつけのたみちのみこと)

開拓の神、交通守護神、農業・漁業・諸産業の神・武運長久。
日本武尊以来の悲願として蝦夷征伐に向かった武将、伊峙水門で戦死、死後墓から大蛇が出て死傷者を出したことから怨霊神として恐れられたという言い伝えがある。
本社の主祭神であり、青森県よりの移住者阿部仁太郎によって郷里の猿賀神社から合祀された。

大山衹神(おおやまつみのみこと)

山林の神。
大山を司る神、山の神の総元締の山神、金運の神。
入植当時は豊平地区一帯が森林で、毎年多くの木材を切り出していたことから祭られた。

倉稲魂神(うがのみたまのみこと)

衣・食・住の神、商売繁盛の神、五穀豊穣の神。
田畑の神で、田畑を開墾するにあたって祭られた。

沿革

明治4年
小祀を設け奉斎す
明治17年7月14日
社殿竣工、札幌神社宮司杉戸大角斎主となり鎮座祭を斎行
明治22年7月
公認神社として許可せらる
大正8年1月4日
村社に列せらる
大正14年7月14日
第2回目社殿竣功遷座祭を行う
昭和2年
明治天皇御遺物を阿部由太郎氏奉納
昭和4年7月15日
新調神輿初渡御
昭和8年7月14日
鎮座50年祭斎行
昭和18年5月27日
郷社に昇格
昭和18年7月14日
鎮座60年祭斎行
昭和20年12月28日
宗教法人令発布せらる
昭和21年7月4日
新神社登記完了
昭和28年3月9日
宗教法人法による神社設立登記完了
昭和28年7月14日
鎮座70年祭斎行
昭和38年7月14日
鎮座80年祭斎行
昭和46年10月16日
新社殿竣功遷座祭斎行
昭和46年10月17日
奉幣祭斎行
昭和48年7月14日・15日
鎮座90年社殿御造営奉祝記念祭典斎行
昭和56年5月27日
豊平神社鎮座壱百年記念奉賛会設立
昭和57年6月
記念事業社務所新改築工事及び参道舗装工事完成
昭和58年7月15日
鎮座壱百年記念祭斎行
昭和63年9月24日
山車塗装並びに改修工事完了、豊平神社所有となる
平成4年11月23日
記念事業神札授与所・清興殿新築並びに社殿鳥居塗装、境内建物補修完成
平成5年7月15日
鎮座110年記念祭斎行
平成15年7月15日
鎮座120年記念祭斎行
平成25年7月15日
鎮座130年祭斎行・神輿會「豊神會」設立